ジブリ映画『アーヤと魔女』、ドキドキワクワクしながら視聴してのラストシーン。
・・・ん?これで終わり?
そんな気持ちのままモヤモヤしてしまった方は意外と多かったのではないでしょうか。
中途半端なような、意味がわからないようなスッキリしない感じ。
どうしてこんな終わり方なのなの?と疑問に思ってしまいますよね。
この記事では、『アーヤと魔女』が途中で終わってしまったように感じる、終わり方の意味が分からない理由について考察を含めながら解説していきます。
目次
アーヤと魔女が途中で終わったのは原作も同じ
ジブリ映画『アーヤと魔女』には原作が存在します。
それは、同じくジブリ映画のハウルの動く城の原作者でもあるダイアナ・ウィン・ジョーンズさんの児童書『アーヤと魔女』。
映画名と日本語タイトルが同じであるこの原作版『アーヤと魔女』は、実は作者が亡くなったために未完となっているのです。
原作の終わり方も中途半端?続編を予感させるラスト
原作『アーヤと魔女』のラストシーンでは、アーヤが人を自分の思うままにする特殊な才能を発揮し、青い髪の魔女であるベラ・ヤーガ、怒ると怖い高身長のマンドレイクと不自由なく暮らしている様子が描かれています。
しかし、12人の魔女に追われているという母親については序盤以外では触れられておらず、アーヤとベラ・ヤーガとの勝った負けたのやり取り、アーヤの活躍、どこかで明かされるはずだったのではないかと思われる母親の秘密など、この後も物語は続いていくのだろうと感じずにはいられないものとなっています。
つまり、続編が描かれないままとなってしまった物語。
ひょっとしたら、これを映画版『アーヤと魔女』でも再現したのかもしれません。
この後アーヤたちはどうなったんだろう?と、どうしても気になってしまうのです。
当然、誰も本家『アーヤと魔女』の物語の行方を知らないわけですから、映画版でも強引に完結させることなく余韻を残したのかもしれませんよね。
続きが気になっちゃう!という、その後のアーヤたちについての想像力がかなり膨らんでしまうような終わり方だったと言えそうです。
映画が途中で終わったと言われてしまう理由
映画『アーヤと魔女』では、『途中で終わった』と感じた方も多いようです。
なぜなら、アーヤが待ち望んだ友人カスタードの来訪と同時に、突然赤い髪の魔女であるアーヤの母親が現れてのラストなのですから。
ここからどうなる?というドキドキシーンがラストシーン。
ここまで物語に引き込まれていたからこそ、途中で終わっちゃった・・・という感想を持ってしまうのかもしれません。
だって、ケンカ別れみたいになってたベラヤーガやマンドレークは好意的に迎えてくれるの?とか、このタイミングでアーヤを迎えに来たの?とか、お母さんは今までどうしてたの?とか、色々気になりますもんね。
お母さんが来た、と思ったらそこで物語は終わり?
なんか中途半端だし、これ実は途中で終わっちゃったんじゃないの?と感じてしまうのも無理はありません。
アーヤと魔女の意味がわからない終わり方はなぜ?
アーヤと魔女は原作が未完であるためか、映画版でも中途半端だと感じる終わり方となっています。
ここで終わり?どういうこと??と心の中で叫んでしまった方もいるかもしれません。
意味がわからないと感じてしまう理由としては、ああスッキリした!ということが無いままエンディングを迎えてしまい、内容にモヤモヤが残るからでしょうか。
疑問が解決されない物語
アーヤは最終的にはおばさん・おじさんに優しく接してもらい、部屋の様子も豪華になり、とても良い生活を送っていますよね。
あんなにきつく当たっていた青い髪の魔女ベラヤーガも、アーヤと積極的な関りが少なかったマンドレイクも、最後はアーヤにメロメロです。
ある意味ハッピーエンド。
孤児院育ちのアーヤがある日突然『親になる気がない』謎の里親に引き取られ、自由に外に出ることも叶わない閉じ込められた生活になるも、自らの才能を駆使して未来を切り開いた物語、といったところでしょうか。
ところが、視聴者は物語の中に多くの疑問を持ったままラストシーンを迎えるワケです。
アーヤの大人をも心変わりさせてしまう操り能力を始め、多くの謎が残ってしまっているのです。
残ってしまった謎
まず主人公アーヤは、魔女の血を引く魔女と考えていいのでしょうか。
魔法を使うお母さんの子供なので魔女と言えそうですが、周りに言うことを聞いてもらうあの特殊な力も実は魔法なのでしょうか・・・
あれが魔法なのであればファンタジー感が濃くなりますし、母を追う12人の魔女とも戦えそう。
しかしそこは魔法ではなく単に心理操作に長けている女の子、ということであれば魔法ではない特殊な力として大いに活躍できそうです。
個人的には、アーヤのあの力は『魔法』という設定だったら面白いなと思っていますが、実際のところはどうなのでしょうね。
また、そもそもアーヤの母親はなぜ仲間の12人の魔女に追われていたのか、アーヤの父親はどこの誰なのか、ベラヤーガが言っていた魔女の掟とは何だったのか、なぜベラヤーガはマンドレイクと生活をしているのか、母の元バンドメンバーがアーヤを引き取ったのは偶然なのか必然なのか・・・
それらの答えがわからないまま、アーヤが里親を巧みに操り、本当の家族のように暮らせるようになって物語は終わります。
青い髪の魔女の心を変化させ、マンドレイクにアーヤちゃんと呼ばれるまでになり(笑)
で、幸せに暮らしているところに突然アーヤの母親が現れて・・・終了。
単純なハッピーエンドとならず、謎や疑問を抱えた状態でエンディングとなるため、物語そのものの意味がよくわからなかったという印象になってしまったと言えそうです。
結局どういうこと?という感想を持ちつつ、ついつい続編を期待してしまいますよね。
まとめ
ジブリ映画『アーヤと魔女』では、途中で終わってしまったように感じたり、意味がわからなかったという感想を持った方も多いようです。
途中で終わったかどうかで言えば、『途中で終わった』と言うのが正解かもしれません。
なぜなら、原作自体が未完だから。
作者が亡くなったため、永遠に結末がわからない物語と言えるでしょう。
魔女の掟を破ったと考えられるアーヤの母親、ババア呼ばわりの12人の魔女、まだまだ多くの謎が残っています。
映画の中に答えが見つからないからこそ、途中で終わった、意味がわからない、と感じた方も多いのでしょう。
『アーヤと魔女』はそもそも未完、なんなら続きは自由に想像するのも楽しいですよ!
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