ゴールデンカムイの尾形百之助(おがたひゃくのすけ)は、元第七師団長の花沢幸次郎中将を父に持ちつつ、妾の子であるが故に腹違いの弟・花沢勇作とは全く異なる道を歩むこととなった人物です。
狙撃手としての腕前は突出しており、彼の過去や容姿、言動も後押しして非常に人気の高いキャラクター。
そんな尾形は、作中で死んでしまったのでしょうか。
今回は尾形百之助が生きているのか死んでしまったのか、生存説やその後についての解説を行います。
目次
ゴールデンカムイの尾形は生きてるのか死亡したのか
【シリーズ累計900万部大突破!!】
今月3/19(火)より発売の『ゴールデンカムイ』最新17巻、
衝撃のカヴァーが完成しました!白雪に光る双眸が戦場を穿つ!!
孤高の射手・尾形百之助 再襲来ッ!!!照準を定める凄腕狙撃手の気配を感じましたら、
ぜひそのお手元へどうぞッ!!
(カヴァー撮影:野田先生) pic.twitter.com/XVVmFWArl7— ゴールデンカムイ(公式) (@kamuy_official) March 1, 2019
尾形は結局のところ生きているのか、それとも死亡したのか。
ゴールデンカムイの物語の中でも、彼の生き死にはとても気になるところ。
まず最初に、尾形のラストシーンから生死についての考察を行っていきます。
助かる要素ゼロのラストシーン
走行し続ける列車の上で繰り広げられる杉元佐一、そしてアシリパとの戦い。
激しい戦いの末に自らの目を撃ち抜き、列車から落下したシーンが尾形の最期を捉えた場面と言えるでしょう。
生存か死亡かを考察する上で重要な、列車の上のラストシーンに至るまでの尾形の身に起きた出来事をまとめると、
- 杉元に背部からわき腹を刺される
- 揉み合いながら杉元と激しい殴り合い
- アシリパの毒矢が腹部に刺さり、自ら毒矢の先端を取り出すも毒が意識を混濁させる
- 死の間際の走馬灯を思わせるような、過去の記憶の中で混乱する様子を見せる
- 自らの銃で目(頭部)を撃ち抜く
- 列車から落下する
通常であれば助かる要素はゼロ、そんな状態です。
つまり『尾形は死亡した』とする死亡説が有力なのではないでしょうか。
尾形は死んだと考えられる理由
尾形は作中で死んでしまったと考えられます。
なぜなら、あまりにも生き延びているとする証拠が無く、生存していることを肯定できないから。
毒矢で射られ、錯乱し幻覚を見ながら自らの目を撃ち抜いて走行中の列車から落下。残念ながら、生きているという状況ではありません。
確かに尾形の死体そのものは描かれておらず、これが生きている証拠とも言えそうですが・・・
あくまでも物語は走り続けている列車の上。
両目を失いボロボロになった尾形の体は地面に打ち付けられてしまっているでしょう。
さらに、エピローグに登場する『山猫の死』というタイトルの絵画はヴァシリが後に尾形の死について描いたものだと考えられます。
狙撃手としての勝利への執念だけで杉元一行に加わり、尾形を追い続けた頭巾ちゃん。
負けたまま、そして自らの手で葬ることができなかった宿敵の死の様子は、その後のヴァシリが画家として生きていくキッカケになったのかもしれません。
最期に現れた弟・勇作の亡霊の意味
尾形の最期を語る上で重要な『罪悪感』という言葉。
これは、自分は愛情の無い父母の間に生まれたから普通の人間とは違うのだと感じながら生きてきた尾形が、最終的に気づいてしまった『自分の中に存在していた人間らしい感情』です。
いかなる状況でも人を殺さないというアシリパ。
偶像となるために人を殺してはならないと教えられ戦場に赴いた腹違いの弟・花沢勇作。
『清い』人間がいるのか。
道理があれば罪悪感など感じない。
なぜ同じ父を持ちながら弟は清くいることを教えられたのか。
清いままで居ようとするアシリパと勇作を重ね合わせていた尾形は、二人に苛立ちを覚え、あるいは自身でも気づかぬ心の奥底で憧れや恐れを感じていたのかもしれません。
アシリパの命を狙うたびに現れる勇作の亡霊は、尾形に眠る罪悪感の象徴、善意の象徴、そして弟と自分と何が違うのかという尾形の固く閉ざされた心の叫びの形なのでしょうか。
ところで、薄い笑みを浮かべながら列車から落下していく尾形は、弟の亡霊に優しく抱えられているようには見えませんよね。
不気味に笑う勇作が尾形を捕らえ地の底へ引きずり込んでいるのか、それとも尾形自身が罪悪感の象徴とも言える弟を背負っているのか・・・
つまり、最終的に尾形はあれだけ自分とは無関係だと信じ背を向けていた『罪悪感』に捉われ、自ら死への道を選んだ。
言わば罪悪感を感じる事ができる『愛されて生まれた人間』だったと知ってしまったことで、尾形の心は冷徹さを保てずに崩壊してしまったと言えます。
自分も人を殺めれば罪悪感を感じる人間であったことに安堵したのか、それとも罪悪感を感じてしまった自分の命を断てたことに安堵したのか、落ちていく彼の表情が穏やかな理由はどちらだったのでしょうか。
尾形百之助の生存説とその後
本日6月1日は氷の日ッ!!
昔、宮中で暑さをしのぐため、6月1日に氷を食べて暑気払ったことから氷の日となりました。
TVアニメ『#ゴールデンカムイ』第三期にて、ヴァシリとの一騎打ちで長い膠着状態の中、口へ氷(雪)を運ぶ尾形の姿をお届けします!https://t.co/fvcnMzXFXj #氷の日 pic.twitter.com/yTShvF9OK6— TVアニメ『ゴールデンカムイ』公式 (@kamuy_anime) June 1, 2021
尾形のラストシーンが描かれた後、死んでしまったように見える尾形の『生存説』というものが広まったようです。
尾形が実は生きてる?
『生存説』と言われると、ドキドキしてしまいますよね。
あの激しい戦いの後どうなったのか、どうやって生き延びていたのか・・・
ここでは、そんな尾形生存説と尾形のその後について解説します。
生存説も尾形のその後もファンの間で広まった
尾形生存説は、尾形の死に疑問を感じたファンからTwitterなどでつぶやかれ広まったもののようです。
そもそも尾形はとても人気のあるキャラクター。
暗い過去があって、可愛らしい一面もありセクシーでカッコイイ。
そんな彼にどうしても感情移入してしまいますよね。
大好きな登場人物だからこそ、死んでほしくない。
遺体が描かれているわけではないし、死んでしまったとハッキリ説明されているワケでもない。
ヴァシリの『山猫の死』だって、1940年(尾形が死んだとされるシーンのおよそ30年後)に描かれている。
それらの様々な考察から『生存説』は語られています。
また、尾形の『その後』を描いた生存if(もし尾形が生きていたら・・)は二次創作などで描かれていたようです。
残念ながら本編では、尾形の安否も列車の上での戦いのその後の彼の様子も語られてはいません。
死を予感させるだけに留まっていることで尾形生存派と死んでしまった派が登場したとも言えそうです。
あのラストシーンをどうとらえるか、尾形百之助は様々な目線で多くのファンから考察されるほどの大人気キャラなのです。
杉元や鶴見が生きているから尾形も生きてる?
杉元との最後の戦いの後、杉元は生存が確認されていますが、実は鶴見中尉も生き残っていたという見解があります。
その理由は単行本31巻に収められているその後の世界の話、まだら模様の金貨とともに残されている1枚の写真にあり、そこに特徴的な顔の傷と額当ての鶴見と思われる人物が小さく写り込んでいることから。
確かに、海に沈んだはずの鶴見に関するものは何も見つからなかったんですよね。
あの額当てだけでも、と言いながら懸命に海を漁っていた月島も、結局鶴見の死の証拠となり得るものを見つけた気配はありません。(そもそも額当ては海に落ちたわけではないですが・・・)
鶴見が生きてる?
杉元は生きてる。
じゃあ尾形も実は生きていたっておかしくない。
通常なら死んでしまうような状況でも生き残っているキャラクターが存在するため、どんな状況であろうと尾形がどこかで生き延びていると感じる要因となっているのかもしれません。
まとめ
ゴールデンカムイに登場する狙撃手・尾形百之助は生きてるのか・・・
その答えは物語中にハッキリと示されてはいませんが、最終シーンを考慮すると生きている可能性は限りなく少ない、つまり『死亡した』と言えそうです。
しかし、それでも生存説がウワサされるのは
- 彼自身が人気キャラクターであること
- 遺体が描かれなかったこと
- 列車に押されて海に沈んだ杉元や鶴見中尉が生きているらしいこと
などが理由として挙げられます。
大好きなキャラが死んでしまうのは悲しいですよね。
多くのファンが尾形はどこかで生きている、そう感じてTwitterなどでつぶやかれたのが『生存説』だったようです。
また尾形生存説の他にも『その後』、つまりもし尾形が生きていたらという生存ifルートを描いた二次創作が存在しているようです。
暗い過去や孤独感、強さ弱さ、感情移入してしまうほどの魅力を持ったキャラクター・尾形百之助。
生存を肯定する材料が少ないとはいえ、ひょっとしたらどこかで生きているのかもしれないと考えてしまうほど印象的な人物ですよね!
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