借りぐらしのアリエッティ翔の手術とその後を考察!病気はどうなった?

角砂糖のイメージ画像 借りぐらしのアリエッティ

ジブリアニメ『借りぐらしのアリエッティ』では、病気の少年『翔』が、古い屋敷で過ごした手術前の1週間の様子が描かれています。

小人たちとの出会いと交流、別れ、そして・・・

 

そう!それより後の事が描かれていないのです!

 

『借りぐらしのアリエッティ』の物語のその後、翔の手術や病気がどうなったのかを考察していきます。

 

借りぐらしのアリエッティ・翔の手術とその後を考察

『借りぐらしのアリエッティ』で描かれなかった翔の手術と、翔のその後について、翔の病状についても含めながらの考察です。

 

翔の病状

12歳の少年『翔』は心臓の病気を抱えています。

その病気は突然のものではなく、幼い頃にはすでにその病気と闘っていました。

 

しかも翔自身は、1週間後に控えた心臓手術をしたところで助からないと考えている様子。

『死ぬのは僕の方だ』というセリフからも、翔が『死』に捕われている事がうかがえます。

 


少し動いただけでも息が切れているようですから、病状は良いものとは言えないでしょう。

 

ただ、気になるのは翔の母親の存在。

おばさま(翔のおばあちゃんの妹)が愚痴をこぼしていましたが、翔の母親は離婚をしており、現在は仕事で海外に行っているのだとか。

 

つまり、手術を控えた病気の息子を置いて、仕事で出張に行っているのです。

 

いくらなんでも・・・という描写ですよね。

預け先のおばの家や車の様子を見ても、母が働きづめなければならないほど生活に困窮しているとはとても思えません。

案外、翔の病気は考えているほど重いものではないのでしょうか。

 

もし重い病気ではないのであれば、少なくとも『死ぬ』という事はないのかもしれません。

子供が本当に死に直面しているとすれば、おそらくほったらかしになんてしないでしょうからね。

 

まあ、心臓病が重かろうが重くなかろうが、母親なら傍にいてあげてほしいところなのですが・・・

母親に会えない事で、ますます翔の生きる気力が失われているように見えます。

 

翔の手術は予定通り実施

『借りぐらしのアリエッティ』は、翔の回想を思わせるナレーションから始まります。

つまり、思い出話。

 

その部分で、『手術前の1週間を過ごした』と言っているのですから、翔の心臓手術は予定通り実施されたと考えていいでしょう。

 

手術後の翔の生活

翔は心臓の手術をするまでの1週間を、母が育った古い屋敷で過ごしました。

その理由は、静かな環境だったから。

安静に、気持ちを落ち着けて過ごすために、自然に囲まれたその屋敷にやってきたのでした。

 


そして、屋敷で過ごしたのは『手術前の1週間』だけであり、それ以降は訪れていない様子。

どうやら手術が終わった後は入院、もしくは自宅へ戻っているようです。

 

 

同じ季節が巡ってきて、ふとアリエッティの事を思い出したのでしょうか。

それとも、翔の心臓や生活になんらかの変化があり、アリエッティを思い出したのか・・・

 

もしくは、一日だってアリエッティを思い出さなかった日は無いのかもしれません。

 

とにかくその落ち着いた口調からは、翔の生活が大きく変わったような様子は感じらず、どこか寂し気。

相変わらず、長い時間を一人で過ごしているのかもしれません・・・

 

翔の病気は治った?

予定通り翔の手術が執り行われたとして、手術は成功したのでしょうか。

翔の病気は治ったのでしょうか。

 

病気の完治は描かれていない

『借りぐらしのアリエッティ』の作品中では、翔の病気がその後どんな様子なのかが描かれていません。

 

翔のその後が描かれなかった理由があるとすれば、病状は変わっていない、病気は完治していないと考えるべきなのかもしれません。

 

もしも翔の今後が明るいものであれば、翔が学校生活を楽しんでいるようなエピソードがちらりと登場してもよかったですよね・・・

それで視聴者は安心するわけですから。

 

描かれなかった翔の『その後』に対し、アリエッティたちのラストシーンでは、暗い床下から移住する先に明るい朝日が見えています。

少なくともアリエッティたちには、今までと違う明日が待っています。

 

その様子を見送る翔が帰るのは、やはりあの古い屋敷なのです。

 

思い出される別れの言葉・君は僕の心臓の一部だ

翔のその後は、作品中では描かれていません。

手術した後、心臓の病気がどうなったのかが気になりますよね・・・

 

そんな時に思い出されるのは、アリエッティとの別れの際の言葉『君は僕の心臓の一部だ』。

 

この言葉には、アリエッティたちの生き方から学んだ、翔の『生きていく希望』や『生きるための力強さ』が込められています。

僕も僕の心臓も、君たちのように諦めたりしないよ、という事ですね。

 


アリエッティに出会わなければ翔は、ずっと死と隣り合わせ、生きる希望も無い諦めの日々を過ごしていたでしょう。

 

つまり、別れのシーンであるとともに、強く生きていこうとするアリエッティたちの姿から翔自身も生きる希望を見出しており、視聴者側にはきっと病気は治るのだろうと感じさせる部分でもあります。

 

 

ただ、『君は僕の心臓の一部だ』には、『どんな状況でも生きる希望を失わない』という意味も含まれています。

アリエッティが『翔の心臓の一部』であり続ける限り、それは翔が生きるための動力であり気力、『翔だけの心臓』では生きていられない事を意味しているようにも思えてしまいます。

 

まとめ

『借りぐらしのアリエッティ』では、アリエッティたちのその後の生活が希望に溢れているように見える一方、翔の生活のその後の様子は一切描かれていませんでした。

それは何を意味しているのか、翔には明るい未来がやってきていないのか、とても気になりますよね。

 

考えられる事は2つ。

  • 翔には明るい未来がやってきていない。
  • 翔は病気が治って元気に過ごしている。

 

新天地で力強く生きるアリエッティと、元気になった翔の姿は、誰もが待ち望んでいるものです。

でも、アリエッティの行く末には朝日が差し、翔はそれを見送るだけ・・・

 

アリエッティの未来は明るくて、翔の明るい未来はまだ先だという事なのでしょうか。

 

つまり、心臓病は完治していない。

手術はしたけれど、治ってはいないとも考えられます。

 

敢えて描かれていない翔の『その後』、贈られたアリエッティの髪留め。

 

『君は僕の心臓の一部だ』には、アリエッティから生きる希望を学んだように、心臓病を抱えながらも生きる事を諦めたりしないという翔の思いが込められているような気がしてなりません。

 

 

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