映画『風の谷のナウシカ』では、王蟲の金色の触手に包まれたナウシカが『あの人が生きてるの?』と問いかけるシーンが登場します。
・・・あの人?
急に飛び出した『あの人』という言葉。
ナウシカが言う『あの人』とは、一体誰の事を言っているのでしょうか?
目次
【風の谷のナウシカ】あの人とは誰の事?
ナウシカ「王蟲ごめんなさい。あなたたちの巣を騒がせて。でもわかって。私たち あなた方の敵じゃないの。」#金ロー #風の谷のナウシカ #王蟲 #ナウシカ #宮崎駿 pic.twitter.com/3WTe2hikRq
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『あの人が生きてるの?』のあの人が誰なのか、詳しい説明のないまま物語は進んでしまいますよね。
解答が出てくると思いきや、ハッキリとした答えもナシ。
結局、誰の事を言っているのかよくわからなかった・・・という方のために、ナウシカの言う『あの人』が誰なのかについて説明していきます。
あの人の生死はわからない
オウムの見せてくれた空と木々の光景から、ナウシカが気になったのは『あの人』が生きているのか、それとも死んでしまったのかという事ですよね。
死んでしまったかもしれない人?
そんな人いたっけ?
ナウシカの母親は、その後の過去の記憶のシーンにだけ登場しますが、行方不明であるような説明は一切ありません。
ユパとはその時点では別行動をしていますが、生きてるの?という問いかけは不謹慎・・・
無事かどうかを聞くのであれば納得できますが、普通生きてる?とは聞きませんよね。
では、トルメキアの船に襲いかかってきたペジテのガンシップに乗っていた少年?
トルメキアの船に乗っていた乗組員たちの生死も気になりますが、ナウシカが直前に見かけ、撃墜されて腐海の中に落ちたと思われるペジテの少年の生死も不明です。
まだ名前も知らないペジテの『あの人』が生きているのかどうか気になるところはありますが、ナウシカが見ていた青空と木漏れ日の光景との関係性がありません。
あの人の正体は連れて行かれた王蟲
続き→さらに背景を撮影🎥する際、上からだけでなく、下から光💡を当てる「透過光」という技術も駆使され、光溢れる印象的なシーンが完成したんだって🤗#金ロー #風の谷のナウシカ #スタジオジブリ #宮崎駿 #ナウシカ pic.twitter.com/A9fsbDf38F
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『あの人』ってペジテのガンシップに乗っていた少年の事じゃないの?
そう思った方もいらっしゃるとは思いますが、『あの人が生きてるの?』の問いかけは、ついさっき見かけたばかりの人物に向けられた表現とは思えません。
つまり、ずっと気になっていたけれど生死が不明の大切な誰か。
しかも『あの人』は、実は人間とは限りません。
『ひと』と言うセリフから人間をイメージしてしまいますが、ナウシカにとって『ひと』が人間であるとは限らないのです。
人間ではないなら?
そう、王蟲です。
『殺さないで』と願った幼い日の出来事。
隠していたのに大人たちに見つかって、どこかへ連れて行かれた小さな王蟲。
生死が不明な『あの人』は、ナウシカが隠していた小さな王蟲の幼生の事だったのではないでしょうか。
しかし、『あの人』という表現に違和感を覚える方もいらっしゃいますよね。
王蟲を『あの人』なんて言う?という疑問はもっともですが、実は漫画版には、王蟲を『ひと』と表現するシーンが存在しています。
そのシーンは漫画版5巻に登場。
『(大変な事が起きる南へは行かずに)北へお帰り』とナウシカにそっと教えてくれる王蟲がいて、後日、別の場所でその王蟲と再会したシーンです。
『このひとに見覚えがある。北へ帰るように言ってくれたひとだ』
見た目で区別のつきにくい王蟲ではありますが、明らかに『ひと』という表現を使って王蟲の中の一個体を思い出しているのです。
人間でないものも『ひと』と表現し、他の生き物すべてを敬う気持ちに溢れるナウシカ。
王蟲を『ひと』と表現する様子からも、ナウシカが安否を気にしていた『あの人』は、かつて大人たちに連れていかれてしまった王蟲の幼生の事だったと考えられるのです。
ナウシカが見た光景はいつのどこのもの?
この、ナウシカさんの感じたイメージを表すシーンで流れている曲は「王蟲(オーム)との交流」という曲🎼です。本作の作曲は久石譲さんが担当し、この場面では久石さんの娘・麻衣さん(当時4歳)が歌っています🗣麻衣さんは現在も音楽活動🎼をしており、父・久石譲さんとも共演してます🤗#ナウシカ pic.twitter.com/FLsFYDqVBk
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触手に包まれたナウシカが見た、青い空と木漏れ日の木。
この光景は、いつ、どこのものなのでしょうか?
幼い少女の歌声と共にナウシカが見た風景が何なのか、説明していきます。
金色の触手で見た光景はナウシカの記憶ではない
王蟲の触手に包まれたナウシカは幼い少女の歌声、青い空、そして日差しの漏れる大きな木がある風景を目にしています。
一瞬ナウシカの過去や記憶かと思ってしまいますが、この風景はおそらくナウシカの記憶の中のものではありません。
ナウシカの記憶ではないと考えられる理由は2つ。
まず1つ目の理由は、ナウシカが王蟲の触手に包まれながら見た風景は、色合いが非常にクッキリしているから。
その後に登場するナウシカの幼い頃の記憶の、淡い黄色を基調としたぼんやりとした印象の景色とは明らかに異なっています。
2つ目の理由は、漫画版の同様シーンで触手に包まれた後、ジイたちは触手に包まれた後に寒気を訴えるナウシカを心配して『王蟲の心をのぞかれたからだ、王蟲め、姫様に何を見せおったのだ』と言っている事。
つまり、触手の中で見た風景はナウシカの記憶ではなく、王蟲がナウシカに見せたもの。
『王蟲の記憶』だと考えられます。
ナウシカが見たのは王蟲の記憶
王蟲が見せてくれた景色・・・それは、ナウシカにとってはピンとくる場所でした。
だからこそ、触手が離れて現実に引き戻された後、『あの人が生きてるの?』という唐突な言葉が飛び出してしまったのだと考えられます。
歌声の可愛らしい幼い少女、青い空と大きな木がある秘密の場所・・・
触手に包まれたナウシカが見たのは、幼いころ一緒に遊んだ王蟲の幼生が見た光景だったのでしょう。
そっちへ行きたくないの!という気持ちも通じず、ナウシカが連れて行かれた秘密の場所。
広い空と大きな木がある場所、幼いナウシカと小さな王蟲が、大人たちに隠れて遊んでいたあの場所。
大人に見つかってもなお、ナウシカは必死で王蟲を守ろうとしました。
その後離れ離れになってしまった2人ですが、お互いの心の中には『あの人はどうなったのだろう?』という気持ちが心の奥底には残っていたはずです。
水中から現れた王蟲はナウシカに思い出の景色を見せて、その反応を確かめていたのかもしれません。
では水中から現れた王蟲が、かつてナウシカと遊んだ王蟲だったの?
そんな疑問も生まれます。
この部分については、そうだったら素敵だとは思いますが、『あの人が生きてるの?』とナウシカがわざわざ聞いているのですから違う個体なのでしょう。
『あなたはあの時の!』ってならなかったですものね・・・
王蟲が他人に心を伝える事ができるのであれば、もちろん王蟲同士で心を伝え合う事も可能。
水中から現れた王蟲がナウシカに見せた景色も、別の王蟲の記憶だった可能性があるのです。
まとめ
風の谷のナウシカは劇場公開されてからおよそ36年、今もなお人気の高い作品です。
感動的なストーリーでありながら、映画版と漫画版では全く内容が異なっているという部分も人気のひとつでしょうか。
ちなみに、『あの人が生きてるの?』というシーンは、映画版のオリジナル。
漫画版にも似たようなシーンが登場しますが、そこから派生した演出なのでしょう。
そして『あの人』とは、幼い頃に大人たちによって引き離されてしまった王蟲の子供を指していると考えられます。
その理由は、
- 小さな王蟲の幼生は、ナウシカと引き離された後どうなったのか、ナウシカ自身が知らない事。
- ナウシカは王蟲を単なる『虫』としては見ていない事。
- ナウシカが王蟲を『あのひと』と言うシーンが漫画版には登場している事。
王蟲が見せた景色によって、ナウシカの過去の記憶が一気に呼び戻され、あの時の王蟲がどうなったのかを知りたいと強く思った事でしょう。
この王蟲なら何か知っているかもしれない。
だからこそ、彼らへの咄嗟の呼びかけが『あの人が生きてるの?』だったのではないでしょうか。
人間ではない生物への『あの人』という呼び方。
ナウシカの、王蟲への敬いの気持ちも同時に表現されたシーンであったとも言えそうです。
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