『風の谷のナウシカ』には、全身をマントで覆った『クシャナ殿下』と呼ばれるトルメキアのお姫様が登場します。
軍隊を率いる勇猛な彼女ですが、マントの下の体には隠された秘密があったようです。
クシャナの体はどうなっているのか、そして夫となる者が見るさらにおぞましきものとはどのような事を言っているのかについて考察します。
目次
【風の谷のナウシカ】クシャナの体は左手が義手
クシャナさん「所詮血塗られた道だ…」 クシャナさんも実は超カッコいいんですよね・・・どれだけ魅力的なキャラクターが多いのでしょうか・・・😭 #クシャナ #kinro pic.twitter.com/tNirTCaX9v
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『風の谷のナウシカ』に登場するクシャナの体は、普段はマントに隠れて何も見えません。
マントの下には重厚な鎧を着ていますが、鎧を脱いで薄着になっても左腕と足部分だけは、まるでクシャナの体の一部であるかのように黄金色の鎧のまま。
なぜクシャナは左腕と両足の鎧を外そうとしないのでしょうか。
クシャナは体の一部を失っている
ユパに左腕の手首から先の鎧部分を外して見せたように、クシャナは体の一部分を失っています。
過去に虫に襲われた際に、深手を負ったり噛み切られたりしたのでしょう。
少なくとも彼女には、左手首から指先までの部分がなく義手の状態。
普段はマントに身を包んでいますが、マントの下では指先まで覆える鎧を身に付け、左腕部分の『見た目』を補っています。
その鎧の指先部分が自在に動くのかと言えば、そういうものでもないらしく、左手で物を持ったり銃を握ったりするようなシーンは見られませんでした。
ただし、左腕全体を動かす事は可能。
腕を振ったり戦車に手を掛けるような動作をするには問題ないようです。
つまり、怪我をして失ってしまったのは鎧を外してユパに見せた左手の手首部分だけ、もしくは左腕の肘のあたりの部分までなのではないでしょうか。
失った部分を含めて、肩から下のすべてを鎧によってガッチリ固定していると考えられます。
ちなみにナウシカの住む世界は、1000年前に火の七日間で焼き尽くされ、かつての高度な技術が失われた後の時代。
腕に取り付けた鎧を自在に動かせるようなオートメイル的な技術はありません。
かつて人間が宇宙へ行っていた事さえ忘れてしまった新たな世界。
クシャナの腕の鎧は、見た目をカバーしつつ防御も兼ね備えているけれど、やはりただの防具である可能性が高いでしょう。
ところで、クシャナは薄着になると左腕だけでなく、両足も黄金色の鎧の状態のままですね。
左腕と同じように、両足の一部分も虫に襲われた際に失ってしまったのかもしれません・・・
クシャナの夫が見るおぞましいものとは?
ゴル「火は森を一日で灰にする。水と風は100年かけて森をそだてるんじゃ。」
ギックリ「わしらは水と風の方がええ。」#金ロー #風の谷のナウシカ #城オジ五人衆 #ゴル #ギックリ #クシャナ pic.twitter.com/7MVwwNqGwO— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) January 4, 2019
『我が夫となる者は、さらにおぞましきものを見るだろう』
おぞましいものって何?と気になってしまうセリフですよね。
このセリフは、やはり映画版のオリジナル。
虫にやられた体を持つクシャナを象徴するようなセリフです。
今でもクシャナの体のどこかには、生々しい傷跡が残っているのでしょう。
夫となる者は・・・という言葉から、通常では目にする事のない部分の傷跡を指していると思われます。
例えば、背中だったりお腹だったりお尻だったり、鎧で覆われた肩や足かもしれません。
彼女自身が『おぞましきもの』という表現をするからには、傷跡はかなり酷いものである可能性が高く、女性であるクシャナにとっては悔しさと悲しさが込み上げてくるようなものだと考えられます。
自分の体に残ってしまっていて、他人には見せたくない傷跡。
それがクシャナにとっては『おぞましきもの』であり、虫に対する怒りや憎しみを一層燃え上がらせる原因になっていると考えられます。
【風の谷のナウシカ】クシャナの体が原作漫画とは違う?
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トルメキア王家第四皇女クシャナは、映画版と漫画版ではその設定が大きく異なっています。
クシャナが体の一部を失っているという設定もそのひとつ。
そもそも、クシャナの体が原作漫画と映画版とで違っている理由について考察していきます。
原作漫画版クシャナは体を失っていない
漫画版のクシャナ殿下は、確かに鎧を身に付けていますが、それはあくまでも戦闘用のもの。
映画版のように体の一部を失っているような描写はありません。
ユパに見せたように、鎧の手首部分が取れて中が空洞・・・などという事はありません。
つまりクシャナが虫によって体の一部を失ったという設定は、映画版『風の谷のナウシカ』のオリジナルでしょう。
当然、夫となる人が見るであろう『おぞましきもの』というセリフも、原作漫画には登場しません。
どちらかと言えば、クシャナのムコ殿『ナムリス』の、旧世界の技術によって作り変えられた不老不死で、首だけでも生きていられる体の方が衝撃的です。
映画では虫への憎しみを持った人物が必要だった?
映画版の『風の谷のナウシカ』では、虫や腐海に怯えて生きる人々、そして虫や腐海に抗おうとする人々の様子が描かれています。
ナウシカの役どころとしては、人間でありながら虫も腐海の植物たちも愛している存在。
人間と虫たち、腐海の広がる世界での共生の物語です。
しかしなぜかクシャナには、単にトルメキア軍を率いて周辺諸国を制圧しようとしているお姫様ではなく、『虫によって体を失った』という設定が新たに加わっています。
虫に対する強い怒りと憎しみを持っている人間という、ナウシカとは対照的な役どころとなりました。
- 2人の姫様
- 一方は強大な軍事国家、一方は辺境の自然とともに生きる小さな集落
- 火を武器とする国と、風の吹く谷
- 虫のいない世界を望む人間と、虫と心通わす人間・・・
新たな設定が加えられたクシャナとナウシカの対比によって、物語は理解しやすいものになっています。
漫画版クシャナの『絶対いい人』という印象を薄くし、恐ろしい巨神兵を復活させようとする敵軍の主導者を描くために必要だったもの。
それが虫に対しての憎しみを内面に抱えているという設定の、映画版クシャナだったのではないでしょうか。
まとめ
映画版『風の谷のナウシカ』に登場するクシャナは、その体がどのようになっているのかがとても気になる人物ですよね。
ユパに見せた、鎧の下の空洞の手首、夫となる者が見るおぞましきもの・・・
虫にやられたという彼女の体は鎧で覆われて隠されてはいますが、一部分が失われています。
おそらく、失われているのは手首周辺と両足の一部。
そしてクシャナの体にはその時の、今もなお彼女の心を沈ませるような傷跡も残っていると思われます。
それ故、虫に対する憎悪も相当なもののはず。
世界を焼き尽くしたという伝説の巨神兵を使って王蟲の群れを一層しようとした彼女の考えも、虫のいない世界を望むからこそなのです。
また、原作漫画とは異なった形で巨神兵を登場させるためには、やはり虫への強い怒りの気持ちを持つ人物が必要だったのではないでしょうか。
ストーリーを成り立たせるために登場する『虫によって体の一部を失った敵国の姫君』。
クシャナは映画版のストーリー構成のため、新たな設定を加えられました。
原作漫画と違って映画版のストーリーが比較的理解しやすいものになっているのは、ナウシカと対照的に描かれたクシャナのおかげなのかもしれませんね。
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