思い出のマーニー原作本と映画版の違いは?再現度と感想評価についても

『思い出のマーニー』のイメージ画像 映画・ドラマ

小学校高学年向けの児童書を原作としたジブリアニメ『思い出のマーニー』。

次から次へと変わっていく、現実とも幻ともわからない独特の世界感を感じる作品です。

 

一部の原作ファンから『何か違う』と言われている映画版ですが、原作と映画の違いは一体何なのでしょうか?

今回は、原作本と映画版の『思い出のマーニー』の違いと、映画においての原作の再現度、感想や評価について書いていきます。

 

※一部ネタバレ含みますのでご注意ください。

 

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思い出のマーニー原作と映画の違いは?

原作ファンにとっては、映画と原作が極端に違っているとガッカリしたりしますよね・・・

しかし、原作と全く同じでは映像化した面白みに欠けることもあるので、さじ加減は難しいところなのだと思います。

では『思い出のマーニー』は、原作本と映画版ではどのような部分が違っているのでしょうか。

 

場所設定が違う

原作と映画の『思い出のマーニー』で大きく違うのは、『場所』です。

原作はそもそも日本を舞台とした話じゃありません。

 

映画版では杏奈は『札幌から釧路や根室をイメージした海辺の田舎町(架空の田舎町)』へ喘息と心の療養のためにやってきますが、原作ではアンナは『ロンドンからノーフォークの架空の田舎町』へ、やはり喘息と心の療養のためにやってきます。

 

釧路や根室は北海道東部にある街、ノーフォークはイングランド東部にある街であり、北海道に舞台を変更した事により、原作の『風車小屋』は、北海道でよく見かける『サイロ』へと変更されました。

人物の名前と設定が違う

原作のイングランドを北海道へ舞台変更したことにより、当然ですが登場人物も『日本人』へと設定変更されています。

しかし、マーニーは舞台を北海道へ移しても『マーニー』のまま。

 

マーニー以外の主要人物を日本人の設定にすることで、思春期に抱える悩みをより身近に感じられますが、不思議な存在であるマーニーだけをあえて『外国人風の姿』とすることで、近いのに遠い、そんな印象を持たせているのかもしれません。

 


映画版では設定上、マーニーは外国人の父親と日本人の母親の間に生まれた『ハーフ』のようです。

 

その他の登場人物は・・・

  • 『アンナ』は『杏奈』で、映画版ではスケッチ好きな女の子の設定です。『おばちゃん』からも愛されていないと感じていて、周囲とうまくやっていけません。
  • 『エドワード』は『和彦』、マーニーの遠縁のいとこは、映画版では幼馴染に変更。『遠縁のいとこ』という表現が難しいためか、映画版ではわかりやすい設定になっていました。
  • 『ミス・ペネロピー・ギル 』(ギリー)は『久子』ですが、特に目立った設定変更は感じられません。
  • 『プリシラ』は『彩香』、映画版では兄がひとり登場しますが、原作では5人兄弟で空想好きの女の子。
  • 『サンドラ』は『信子』で、とにかくイジワルのサンドラと比べ、信子は正義感で凝り固まった性格のように見え、イジワルという印象は持ちませんでした。

 

このように、日本名については特に意味のあるものではなさそうです。

 

しかし例外として、釣りをしているおじいさんの『十一(といち)さん』だけは、原作を再現し、名前の由来がハッキリとした日本名が・・・

原作では、『ワンタメニー』という名前であり、ワンタメニーの名前の由来は、『あまりっこ』。すでに10人の兄弟がいてからの追加の末っ子だったため、そんなにたくさん子供が欲しくなかったワンタメニーのお母さんは『One too many』、つまり11番目の子供に『余分・あまりっこ』という名前を付けたんです。ヒドイ話です。

それで映画では11番目の子供として、日本名『十一(といち)』となったようです。

 

マーニーの存在感が違う

原作では、アンナは『確かにそこに存在する』マーニーと交流しているように表現されています。

しかし、映画版で描かれる杏奈と交流するマーニーは、もっとフワっとしたもの・・・

 

つまり、『そこにいるけれども、いないともいえるような存在』であるかのような印象を受けます。

 

それゆえ『マーニーは幽霊なんじゃないか』、『マーニーは幼い杏奈が持っていた人形なんじゃないか』というような、様々な憶測が飛び交っているのです。

 

原作ストーリーの再現度

場所と登場人物の名前と細かな設定が違うとは言え、大まかなストーリーは原作と同じです。

しかし前述の通り、原作ではよりはっきりと『マーニー』が存在しているのに対し、映画版の『マーニー』はぼんやりとしていて、存在するのかしないのか、生きているのかいないのか、とてもミステリアスな女の子として描かれたまま物語は進みます。

 

例えばサイロ(原作では風車小屋)のシーン、なぜかマーニーは杏奈と和彦を混同しているように描かれており、隣で眠っていたはずの杏奈を置いて和彦と二人で帰ってしまいますよね。

この場面、原作では『気を失っていた』マーニーを、暗闇のためにアンナの存在に気が付かなかったエドワードが、マーニーだけを連れて帰ってしまった事が後に発覚しています。

それゆえ、アンナとの別れのシーンでは『あなたを置いてけぼりにするつもりはなかったの』と叫んでいるのでしょう。

目が覚めたマーニーは、アンナはどうなったのかを聞くはずですからね。

 

しかし、映画版では別の意味も含ませたために、『杏奈の存在に気が付かなくて』置いていてしまったのではなく、『杏奈がそこにいなかった』から結果として置いてけぼりにしてしまったのだという事になっています。

いなかったはずの杏奈に『置いてきた』事を謝るマーニー、初見では理解が難しい・・・

 

このように、原作と同じように物語は進んでいくのですが、原作以上に『マーニー』の気持ちに寄り添った作りにもなっているため、原作を知っている方には『あれ?なんで?』と感じてしまう部分も多いのでしょう。

映画版『思い出のマーニー』は、完璧に『原作』が再現されているというよりも、一部分では原作を飛び越えるような、もうひとつの意味がわかると鳥肌が立つような感覚を味わえる作品です。

 

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映画版思い出のマーニーの感想と評価

一度観ただけでは理解が難しい映画版『思い出のマーニー』。

『感動した、良かった』という声の一方で、『意味がよくわからない・・・』という感想も聞かれる作品です。

実際に映画版を観た方の感想や評価はどのようなものなのでしょうか。

 

映画版思い出のマーニーの感想

感動した、との声は多いようです。

中にはジブリ映画の中で一番好き、という方もいらっしゃるようですね!

 


個人的には、原作を知らないまま、初めての鑑賞時には『意味がわからない映画』だなと感じました(汗)

 

映画版思い出のマーニーの評価

映画版『思い出のマーニー』への評価は分かれているようです。

理由はやはり『わかりにくさ』なのでしょうか。

原作を知っている方からは『原作と違う』との声も上がっているようです。

 

原作か映画か、と言えば、個人的には映画派です。

確かに原作には原作の良さがありますが、どうしても映画のミステリアスな感じに惹かれてしまうんですよね(笑)

 

まとめ

『思い出のマーニー』の原作者はジョーン・G・ロビンソン。イギリス児童文学で、宮崎駿監督も大好きな作品なのだとか。

米林宏昌監督は、この『思い出のマーニー』の映画化の話が来た時に、『無理だ・・・』と思っていたそうです。


しかし結果的には原作をベースにしつつ、原作以上のものになっているのではないでしょうか。

 

原作には無い曖昧な感じ、繊細な感じ、そして最終的な『ネタバレ』の圧倒的存在感・・・

 

ネタバレ後、改めて鑑賞してみると、月の光の下でダンスをする杏奈とマーニーの姿がとても儚く、そしてこの上なく美しく見えてしまうのでした。

 

 

思い出のマーニーについての記事はこちらもどうぞ!

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