野村克也監督が提唱したID野球の意味と内容は?戦略や戦術についても解説

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2020年2月11日、日本プロ野球界の偉人『野村克也さん』がお亡くなりになりました。

数年前に夫人である『野村沙知代さん』を亡くし、やや元気が無いなぁと感じる事はあったものの、テレビなどの出演もされていましたので、突然の訃報にただただ驚きました。

 

また一人、日本のプロ野球を支えた人物が逝ってしまったのだとポッカリ穴が開いてしまったような、そんな気持ちを感じている方も多いでしょう。

 

ID野球の提唱により、日本の野球を変えたと言われる野村克也監督、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

野村監督が提唱したID野球の意味と内容

『ID野球』、ある程度の年代の方には聞き覚えのある言葉かと思います。

若い方や、そもそも野球をあまり知らない方にとっては、「ID野球ナニソレ?」でしょう。

ID野球の意味や内容について説明していきますね。

 

ID野球とはデータ重視の野球のこと

ID野球とは『Important data』野球、つまり、『経験』や『勘』よりも『データ』が重要であるという意味を込めた言葉です。

 

当時、ヤクルトスワローズの監督を務めていた野村監督ですが、試合前には選手たちを集めてのミーティング時にデータ解析などを取り入れていたという話がありましたね。

落合博満さんや清原和博さんが現役プロ野球選手だった頃の話です。結構古い話ですが・・・

 

ID野球ではデータを駆使して考える野球をする

ID野球は『考える野球』。

野村監督の野球に対する考え方は『野球は頭のスポーツ』、『頭を使えば勝てる』というものでした。

 

今では世の中の物事にデータ解析を取り入れるのはごく当たり前の話ですが、当時の野球界ではまだまだ経験や勘だけに頼る野球も行われていたワケです。

根性論の延長だったのかもしれません。

 

野村監督は『根性』とかが大嫌い、自身の経験などから『予測』、『準備』が大切であると知っていたのですね。

 

ID野球の戦略と戦術

野村監督は『データが重要』と強く主張して、細かなデータ分析に基づく戦略を立て、それにより1990年代、ヤクルトスワローズの野村克也監督の『ID野球黄金時代』が訪れる事になります。

野村監督が提唱したID野球の戦略や戦術はどのようなものだったのでしょうか。

 

先を読む力を身につける弱者のための野球戦略

野村監督は現役時代、苦手な投球を打つために『ヤマを張る』という事をしていたようです。

相手バッテリーを見て、「次はこういう球種のこんなコースが来るだろう」という予想を立ててヒットを量産し、苦手な投球の克服をしていました。

 

ID野球という言葉が生まれる前から、野村監督はデータを基にした野球をプレーしていた事になりますね。

苦手なものは『先を読む』事で克服できる、つまり先を読むことができれば『弱者でも勝てる』というワケです。これは野球界だけでなくどこの世界にも通じる考え方、野村監督は改めてすごい人だったのだと感じます。

 

データを駆使して確実な手段を選んでいくという戦術

先を読むためには『勘』だけを頼りにしていては意味がありませんから、相手選手の『データ』が必要になります。

相手のデータ、つまり普段のプレイ動向やクセから次の行動を予測する。

 

簡単な例えで言うと、バッターボックスに入った時に「よし、どんな球でもどんと来い!」という考え方はダメで、「このピッチャーはストレートが得意だ、しかし2ストライクの時にはアウトコース低めのカーブで来ることが多いな、だから今回もその可能性は高い」と予測する事によって、ヒットのための『より確実な手段』を選ぶ、という事です。

 

ID野球の成果

そしていよいよ、データを駆使した野球は実を結ぶことになります。

1年目には種をまき、2年目には水をやり、3年目には花を咲かせましょう

出典:1990年野村克也監督就任時の言葉

野村監督のその言葉通り、ID野球を駆使したヤクルトスワローズは監督就任3年目の1992年、14年ぶりとなるリーグ優勝を果たします。

そして翌年の1993年、ついに日本シリーズを制し、日本一に輝いたのです。

 

当時、西武ライオンズのファンだった私は非常に悔しい思いをしましたが、こうやって振り返って考えてみると『すごい時代』を見たのだなぁと感慨深いものがあります。

 

1990年~1998年の野村監督就任中には4度のリーグ優勝、3度の日本一とまさに『ID野球黄金時代』とするに相応しいものでした。

 

ID野球の関係者

野村監督がID野球を提唱するに至ったその陰には『ドン・リー・ブラッシンゲームさん』、また野村監督時代にヤクルトスワローズの捕手を務めていた元ヤクルトスワローズ監督、現野球解説者の『古田敦也さん』はデータを駆使して綿密な計算をしていたとされています。

 

ドン・リー・ブラッシンゲーム

日本のプロ野球在籍時の登録名は『ブレイザー』。『ブラッシンゲーム』という名前が長すぎてスコアボードに書ききれなかったことから、愛称の『ブレイザー』がそのまま登録名になったとか。

野村克也さんはブレイザーさんの『シンキング・ベースボール』の考え方を基にして『ID野球』を生み出したとされていますし、野村さんご本人もブレイザーさんに対しては、考える野球を教えてくれた恩人だと語っています。

もともと試合展開や相手選手の心理を読む能力に長けていたという野村さん、『シンキング・ベースボール』には直感的に『これだ!』と感じるものがあったのかもしれませんね。

 

古田敦也

ヤクルトスワローズの元監督、現野球解説者である古田敦也さんは、現役時代、野村監督の下でヤクルトスワローズの捕手を務めました。

 

当時の他球団の捕手に比べて「まじめそう、頭良さそう・・・」という感じがしていました。

メガネのせいですかね?

 

その古田敦也さんは当時から綿密な計算を基にした作戦を組み立てる方法で試合に臨んでいた事から『ID野球の申し子』とされ、また当時の恩師・野村監督の『頭を使えば勝てる』の言葉は今でも古田さんに多くの影響を与えているようです。

 

愛すべきノムさんの名言

野村沙知代夫人が一時テレビを賑わしていた頃、確かにこの人の旦那さんだからちょっと不思議な人なのかもしれない・・・と思っていた事もありました。

 

でもそれは間違い。

 

人間観察、心理を読むことに長けていた野村克也さんこと『ノムさん』は非常に人間味の溢れる、人生のお手本にしたいような方だったのです。

大切にしていたのは『人間教育』。人として何が大切なのか、それを伝えてくれていた方でした。

 

今思えば、沙知代夫人の一件で私たちがテレビを通して見ていたのは、面白おかしく切り取られた夫人の一面だったのかもしれません。だって、あの野村監督の奥さんなんです。野村監督が選んだ人だったのですから、ただのワガママやりたい放題夫人ではないはずですよね・・・

 

 

プロ野球界の業績のみならず、人間味あふれる愛すべきノムさん。

残してくれた言葉をよく噛みしめながら、私自身も自分の考え方や行動をよく考えていかなければと改めて感じます。

 

まとめ

まさに、巨星堕つ。

プロ野球を支え、変えた偉人がまた逝ってしまいました。

 

悲しみのツイートも溢れています、それと同時に『ありがとう』という思いを伝えている人の多いこと。

 

今頃沙知代夫人のいる場所にたどりついて、「よお、待たせたね」なんてやっているのでしょうか。

いや、きっと再会を喜び合っている事でしょう。

そして今後も野村監督提唱のID野球は受け継がれていきます。

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

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