思い出のマーニーの目に見えない魔法の輪とは?内側と外側についての考察

『思い出のマーニー』のイメージ画像 思い出のマーニー

映画版『思い出のマーニー』冒頭では、公園でスケッチをしている杏奈が同級生に意識を傾けながらも心の中でボソボソ呟くシーンがありますよね。

 

『この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間・・・』

 

魔法の輪?急にどうしたの?と、気になるけれども冒頭にしか出てこないんですよね、この言葉。

今回はこの気になる『見えない魔法の輪』とは何なのか、また、輪の内側と外側についての考察を行います。

 

思い出のマーニーの目に見えない魔法の輪とは何なのか

『世の中には見えない魔法の輪があって』

あまりにも抽象的すぎる表現、同級生たちは『輪の内側にいる』、でも自分は『輪の外側にいる』。

この杏奈が言う『見えない魔法の輪』とは、一体何のことなのでしょうか。

 

 

杏奈が感じている不安感

杏奈は『見えない魔法の輪』に内側と外側が存在していて、自分は外側にいるけれど『そんなのはどうでもいい』とも言っています。

無表情で、しかも心の暗さまで感じる杏奈が抱えているのは、他人である自分を一生懸命に育ててくれた養親が、実は給付金を受け取っていた事。

『普通』なら受け取る事のないお金を、養親は受け取っています。

 

自分を育ててくれていたのは、自分を愛しているからではないのかもしれない・・・

 

本当に『そんなのはどうでもいい』なら、そもそも魔法の輪がどうのとかを気にしません。

つまり、気にしている事の裏返しとも言えそうです。

 

自分は明らかに他人とは違う部分がある・・・

この養親に対する『不安感』は、杏奈が感じる『見えない魔法の輪』を際立たせているとも言えるでしょう。

 

守られる壁のない自分

杏奈は自分が『もらわれっ子』であり、両親の代わりに血のつながりのない養親と暮らしています。

  • 杏奈を養うための特別なお金を受け取っている養親は、そのお金が無くなった時も自分を守り愛してくれるのだろうか・・・
  • 給付金が無くなれば、いよいよ自分は誰からも愛されず、誰にも守ってもらえない無防備な存在になってしまうのではないか・・・

 

お金の件を知るまでは、それなりに養母の『おばちゃん』と仲良く暮らしてきた杏奈ですが、給付金の存在を知り、心を閉ざしてしまいます。『普通はお金をもらわない』、つまり『お金をもらう』=『お金がなければ自分を育てていない』と誤解してしまったというワケです。

これによって、養親の愛情をも疑うようになってしまったんです。

 

お金どうこうよりも、通常でも親に対する気持ちが揺れ動く12歳の思春期、心も体も大きく成長するこの時期の子供の気持ちは難しい。

 

誰も愛してくれていない、誰も守ってくれない・・・

杏奈は、通常であれば親から与えられるであろう『無条件の防壁』が、自分には無いと考えています。

 

目に見えない魔法の輪の内側と外側についての考察

『杏奈』は家族や親というものにコンプレックスを抱えた少女です。

『見えない魔法の輪』の内側では、親がたくさんの愛情を注ぎながら子供を守っており、そうでない杏奈は常に輪の外側にいるような状態という事になります。

杏奈にとって親(養親)は、『無条件に杏奈に愛情を注ぎ、無条件に杏奈を守ってくれる存在』ではないのです。

 

安全な内側と危険な外側

簡単に『世の中』という危険な場所に放り出されている杏奈と、『世の中』の危険を知っているからこそ、危険が無いようにいつも見守ってくれる親がいる同級生たち。

例えるなら、丸腰でジャングルに挑む杏奈と、『バリヤー』を張った状態で行動できる同級生との違いでしょう。

 

杏奈は、自分の身は自分で守らなければなりません。しかし同級生たちは、いざとなれば『親』というカードを出して身を守る事ができます。

 

お昼寝するネコの親子

子供は、いざとなったら守ってくれる存在を心に感じているからこそ、キツイ・難しいと思うような出来事にも果敢に挑戦していけるのです。

 

仲間外れの意味ではない

『目に見えない魔法の輪』

杏奈が感じていた『魔法の輪』について、当初は杏奈が感じている『仲間外れ感』なのでは?と考えていました。

 

例えば、リンゴ、みかん、ぶどう、ネコの絵が描いてあって、『仲間を丸で囲みましょう』となった時、丸で囲まれるのはリンゴ、みかん、ぶどうで、ネコは丸の外側にいる状態になるはずです。

『果物』と『果物でない』ものとに分ける事ができる、つまり『普通』の人たちと、『普通ではない』杏奈。これが『魔法の輪』の正体なのではないかと考えていたわけです。

仲間外れのイメージ画像

 

しかしこの考え方では、原作『思い出のマーニー』に記述されている『外側にいる時、自分は内側にいる事を感じられる』という事にどうしても該当しません。

ネコである時に果物を感じられる・・・?

これでは全く意味が通じません。

 

だとすると、前述のように『見えない輪』の内側にいられるのは、強い愛情と絆に守られた存在だと考えるのが一番しっくりきます。

 

内側にいることの再認識

世の中の激しい雨風にさらされて苦しいと感じた時、自分を愛してくれる存在、守ってくれている存在を思い浮かべるでしょう。つまり自分が普段は『内側』にいるからこそ、一歩輪の外に出て嵐にさらされた時に『内側にいること』=『実は守られている』ということを再認識できます。

雨風にさらされてボロボロになってしまっても、温めてくれる存在、励ましてくれる存在がいる事が『内側』にいるという証明でもあるのです。

 

まとめ

映画『思い出のマーニー』は、誰からも愛されていないと感じている思春期の少女『杏奈』が、不思議な少女『マーニー』との交流を通じて、『実は様々な人から愛されている』という事を知っていく物語です。

杏奈は、自分が愛されていない存在だと考えていたからこそ、『見えない魔法の輪』を感じていましたが、ほとんどの人は世の中の雨風にさらされて初めて『見えない魔法の輪の内側』のありがたさを感じるのでしょう。

 

時には杏奈のように、自分は『輪の内側にいるのか外側にいるのか』を考え、愛し守ってくれる存在に感謝することも大切なのかもしれませんね。

 

 

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