『翔んで埼玉』の原作漫画を読んで感じた事、「あれ?終わり?」
そう、映画化までされている『翔んで埼玉』は、実は原作では完結しておらず、今後完結する予定も無さそうです。
しかし、映画ではほぼ『完結』と言えるストーリー!
埼玉県民にとっては大絶賛映画の原作だけに非常に残念な話ではありますが、個人的には完結していなくて良かったのではないかと思っています。
未完のワケ、そして映画が原作を超えていると感じる理由を順に書いていきます。
※ネタバレ含みます。ご注意ください。
目次
翔んで埼玉の未完の原作がなぜか映画で完結
映画の公開で初めて『翔んで埼玉』を知ったという方、そして埼玉いじりの波に乗ってヒットした映画の原作を読んでみたい、と思う方も多いと思います。
しかし肝心の原作は未完。
原作が未完のワケと完結した映画版のストーリーを紹介します。
原作が未完のワケ
理由は単純、作者の魔夜峰央先生が3話目を描き終えた頃に、埼玉県所沢市から神奈川県横浜市へ引っ越しをされたそうです。
もともと新潟出身の魔夜先生が埼玉県に来て、当時の埼玉県のイメージをほぼディスる形で漫画化、途中で横浜市に引っ越したため「県外からディスるワケにはいかない」と執筆を辞めた、という内容のようです。
第1話が掲載されたのは1982年との事ですから、和暦で言えば昭和57年。平成も通り越して昭和です!
30年以上もひっそりと生き続け2015年に宝島社から新たに出版、さらにその数年後に映画化されるだなんて埼玉県民って一体どのくらい昔から東京都に虐げられてきたのでしょうかね(笑)
たった3話の原作が現代に蘇り、埼玉県民から絶賛されるなんて当時の魔夜先生は想像もしなかったでしょう!
原作に続きはあるのか
これについては『無い』可能性が高いと言えます。
所沢から引っ越した魔夜先生は、続きを描くために所沢に戻ったりすることは無いとおっしゃっているようですから、よっぽど気が向かない限り続編はあり得ないでしょう。
もっとも原作が未完であったからこそ壮大なスケールの映画が誕生したとも言えるので、とりあえず現時点では『続き無しでOK』なのではないでしょうか。
完結する映画版ストーリー
映画版『翔んで埼玉』は細かい設定は異なりますが、原作と同じ、都会指数の高い東京都民、白鵬堂学院の生徒会長『壇ノ浦百美』とアメリカ帰りの隠れ埼玉県人『麻実麗』が出会うところから始まります。
麗のアメリカ式挨拶によって心を奪われてしまった百美は、実は隠れ埼玉県人であった麗と共に東京の手から逃れるため逃避行をする事に。
その途中千葉解放戦線のリーダーであり壇之浦家の執事、『阿久津翔』に襲われそうになった2人は『埼玉デューク』によって救われたり、百美が『サイタマラリア』に罹患した際に医者へかかるため東京へ潜り込もうとしたところを銃撃された麗の実の父親、『埼玉デューク』に代わって埼玉解放戦線のリーダーとして立ち上がったり。
千葉vs埼玉一触即発か、と思われましたが埼玉デュークの働きかけで共に手を取り合い、不正を働いている東京都知事に向かって進撃、百美の活躍もあり都知事の悪事を世間に暴くことに成功しました、というのが大まかなストーリー。
原作は逃避行の最中に未完のまま終了していますが、その後の展開が続く映画版は原作からは想像できないような壮大なストーリーとなっています。
映画は別解釈の全く新しい『翔んで埼玉』
原作を超えられないような映画というのはよくあります。
しかしこの『翔んで埼玉』は映画が原作よりも面白い!と感じてしまう要因がありました。
原作はわかりにくい?読者を選ぶタッチとストーリー
昭和後期に描かれた漫画という事と、個人的には苦手なタッチの漫画のため若干内容のわかりにくさを感じました。
いや、内容が分かりにくいというよりも、人物のタッチや背景の花模様、言い回しなどが気になって頭に入ってこない事が多々ありました。
ちなみに私の旦那さんは原作漫画に同時収録されている全く別の物語も『翔んで埼玉』だと思っていたらしく、「ストーリーのつながりが分からない!」と、3話目の最後を何度も読み返していたそうです(汗)
いくら何でもタイトル違うのには気づくでしょ・・・
比べて映画版では映像がセリフ付きで直接頭に入ってくるワケですから、原作でわかりにくかった場面であってもすんなり頭が受け入れてくれます、当たり前ですけど(笑)
わかりにくい原作を分かりやすく。これは原作を超えていると言えるでしょう。
映画は原作を元ネタにした別物語
映画を観て強く感じた事は、これは原作を元ネタにした別物語、別解釈の『翔んで埼玉』であろうという事です。
正直、原作を読んだ時には「ひどい・・・」と思いましたし、話題になったわりには全然面白くないじゃん!とも感じていました。
(もっとも前述の通り、私には苦手なタッチであったために内容がイマイチ頭に入ってきていなかっただけ、という原因も考えられます。)
そんな私でも映画版は非常に楽しめましたし、むしろ埼玉県民を喜ばせるために作られた映画ではないかと錯覚したほどです(笑)
これは完全に原作よりも面白い!
映画のところどころに散りばめられる埼玉ネタも埼玉県民を喜ばせる必笑アイテムとなっています。
もしも原作漫画が完結するとしたら?終わり方を考察
未完の作品である原作『飛んで埼玉』がもしも完結するとしたら、どのようなストーリーになるのでしょう?
原作内の情報と、『埼玉県全体ををおちょくって面白い作品を作りたい』という魔夜先生の言葉から考えてみます。
まず、原作漫画内での『麻美麗』の目的は、埼玉県民の地位を東京都民に認めさせることにあります。
そして同じ目的を持つ『幻の埼玉県民・埼玉デューク』の仲間に加えてもらうため、百美と一緒に埼玉デュークを探しに行く、というところで原作は終了しています。
以降、考察になります。
この埼玉デュークを探す過程で、他県民もひどい目にあわされている事を知り、徐々に仲間を増やしていくのではないでしょうか。これは、原作内で『地方出身と言っている国会議員も実は東京都民』という設定からの推測です。
東京都民vs他県民という壮大な構図となれば面白いですね。
そして謎の人物『埼玉デューク』、彼の正体が実は原作には登場しない百美の父親だったとしたら・・・?
ちなみに原作では百美は『白鵬堂百美』であり、白鵬堂学院の理事長の孫という設定です。
百美の父親が『埼玉デューク』だと仮定すると、サイタマラリアに苦しむ百美に突然埼玉デュークから血清が届けられた、という場面にも繋がっていくと思います。
また、麗は『麻美家』の養子として東京都民になりすましていましたが、百美も本人が知らないだけで実は埼玉県民だった、という設定になり得ます。
ところで魔夜先生は『埼玉県全体をおちょくった・・・』と言っていますので、これを踏まえて考えると・・・
- 東京都民vs他県民という構図になったところで東京都は『池袋』を埼玉県民に差し出す。
- これで単純な埼玉県民が納得してしまい他県民からは総スカンを食らうが、麗は東京都から池袋を奪い取った『埼玉の英雄』となる。
こんな終わり方が面白いのではないかと思います。
池袋ひとつで納得してしまう埼玉県民を描いたら、『埼玉県全体をおちょくっている』風になりますからね(笑)
翔んで埼玉は断然映画で観るのがオススメ
もし『翔んで埼玉』の原型をどうしても知りたい場合は未完の原作漫画を読みましょう。
ただしこの作品、断然映画で観るのがオススメです。
不思議な世界観に最初からグイグイ入り込めますし、何といってもシーンの一つ一つが非常に印象的、観た後に爽快感と、何に向けられているのかわからない『やる気』を味わう事ができます。
映画『翔んで埼玉』(2019)を池袋で見る。ばかばかしくて非常に面白い。ギャク映画は後味の悪いものが多いが、不思議とそれもない。滅多にないが、叫び声風の笑い声も観客からたびたび出て館内の雰囲気もとてもよかった。主演は二階堂さんで大成功だったと思う。低予算でも面白い映画ができる見本かな
— tosio (@masutoshio) May 5, 2019
翔んで埼玉、面白くて、何度も吹き出してしまった〜!
けど、これは埼玉県の地名と埼玉あるあるを知らない人がみたらそんなに面白くないかも?と思ったよ〜
私には(元)埼玉県民の誇りがあるっ!👌👌— ミヤ (@shaft_of_light_) March 11, 2019
今は県外に出てしまった元埼玉県民の私ですが、なぜか『埼玉県民の誇り』が持てたような気がして、大好きな映画のひとつになったのでした。
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