マスカレードホテルの映画版と原作の違いは?楽しめるかどうかの感想

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東野圭吾原作の『マスカレード・ホテル』、木村拓哉&長澤まさみ主演での映画は結局どうなの?というところが気になっている方も多いのではないでしょうか。

もともと東野圭吾作品が好き!『マスカレード・ホテル』の原作が好き!という方にとっては、映画化されたものを観るのは『怖いもの見たさ』に通じるものがありますよね。

観てしまって「観なきゃよかった・・・」になるのかならないのか、映画と原作との違いを確認しながら検証していきます。

 

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原作を手にしたキッカケと読んでみた感想

原作『マスカレード・ホテル』は、本を読むのは苦手だと自覚している場合、厚みに威圧感を感じるレベルのものになっています。

もうちょっと薄くならないものかね・・・?と心の中で思いつつも、これを読んでみる気になったのは映画版『マスカレード・ホテル』を観てみたいとちょっとだけ思ったから。

 

ちょっとだけです。

 

実際東野圭吾作品に思い入れがあるわけでもないですし、この映画が無ければ読む機会も巡ってこなかったのかもしれません。

 

どう考えても読むのに数時間かかると思われる厚みをわざわざ横から眺め、意味もなく100ページごとに区切ってみたり。

いよいよ「はやく読みなよ」って自分にツッコミを入れたくなってきたところで恐る恐るページをめくり始めます。

そして数時間・・・

 

「おもしろかった!」

単純ですね。にわか原作ファンの誕生です(汗)

 

面白くて一気に最後まで読めてしまったと同時に、映画観ないほうがいいかな?という何とも不安な気持ちが込み上げてきます。

いやでもせっかくだし、観たほうがいいよね・・・

 

およそ500ページに及ぶ原作が2時間ほどの映画にどのような形で表現されているのか気になる、いやいや「おもしろかった」という今の気持ちを裏切ることになったりしないか?

頭の中でミニ会議をしながらも結果として映画は観てしまいました。

 

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マスカレードホテルの映画と原作小説の違い

原作を読んでみて感じた魅力は、ひとつひとつの場面が目に浮かぶようなわかりやすい表現で書かれている事、そして同じく主人公の心理描写が細かく書かれているので感情移入しやすいという点でしょうか。

比喩表現に頭を悩ませる必要もなく、ある時は主観的に、またある時は客観的に目の前に情景を広げる事ができる作品と言えます。

 

主人公たちの成長過程に深みが無い

この作品の原作を読んだ際、真っ先に感じたのは『目に見えるものがすべてではない』という事。

最もこの作品のタイトルからして仮面と本当の顔を思わせているのだから、原作を読んで感じたものは作品の意図であると言っていいのだと思います。

主人公たちが、自分の立場・主観から見ているものと他人の立場・主観から感じているものが違う事を知っていく過程が、ある意味見所でもあると思っていたのですが・・・

 

映画ではイマイチ伝わりにくいよ!

 

その部分が丁寧に描かれているかと言われれば「うーん」と返答に困るかもしれません。

木村拓哉演じる『新田浩介』と長澤まさみ演じる『山岸尚美』が、お客や事件について考える過程に深みが無いというか・・・軽快な掛け合いをしているように映ったのは私だけでしょうか?

 

木村拓哉演じる新田浩介がただ頭が良いだけに見える

まず前置きとして、原作を読んだ限り『新田浩介』役は木村拓哉で正解!と感じました。

30代半ばかどうかは別として、精悍な顔立ち、(あくまでも役として)身だしなみが悪くて傲慢で横柄、これだけで木村拓哉が演じている姿が目に浮かぶようですよね。

そして『新田浩介』も非常に魅力のあるキャラクターですし、この二人が要するにフュージョンした格好になるわけで期待値としてはとても大きいのです。

 

しかし、個人的には傲慢で横柄だった『新田浩介』が『山岸尚美』の仕事に対する情熱の影響を受けて、徐々に警察からホテルマンらしく変化していくという部分をもう少し見たかったかな、と思います。

 

映画では徐々にホテルマンらしく・・・というよりも、『ホテルマンだったらどうするかを考えてピンチを切り抜ける頭の良い新田浩介』に思えなくもなかったのが少し残念でした。

 

事件解決の糸口がホテル業の忙しさに紛れ込んでしまう

原作では、当たり前ですがホテルに現れる特徴的な客の様子が1件ずつ丁寧に書かれています。

それぞれのお客の行動と対応から事件解決への糸口を見つけていくという意味では『ご都合主義』というものなのかもしれませんが、読んでいる段階ではさほど気になるものではありません。

比べて映画版では、それらの客が一気に押し寄せてきているようなイメージで描かれています。

もちろん一気に、というのはイメージ上の事であって実際は違うのですが、1件ずつ丁寧に、というのとも違います。

まるでホテルの目が回るような忙しさを表現しているような、という意味で『一気に』というイメージを持ちました。

映画版の客の描写が『美術館全体を見渡している状態』と例えるならば、原作の客たちは1人現れては次の1人という、言わば『美術館に飾られている絵画を見て回っている状態』と言えるのではないでしょうか。

ただこのように一気に問題のある客が押し寄せてくると、『新田浩介』は一気に成長して一気に事件解決の糸口を見つけなければならないわけですね(笑)

観ている側も、あれ?ちゃんと事件解決の糸口掴んだ?と、ちょっと頭が追い付かない事態が発生します。

 

犯人の見せ方だけに力が入りすぎている

映画版で、問題のある客が一気に押し寄せてくるのとは対照的だったのが、じっくり描かれる事件の犯人の描写です。

原作を読んでいる際には気にならなかったのですが、あまりにも丁寧に描きすぎるというか、やりすぎているような・・・?

映画では『この人変でしょ?違和感あるでしょ!』と犯人を予測させてしまっていて、それが全くもってミスリードではないので『当たった!』という単純な楽しみ方を提供しているのかもしれません。

マスカレードホテルの映画版は原作ファンでも楽しめるのか

原作の『マスカレード・ホテル』と映画版の『マスカレード・ホテル』、正直なところ映画版には若干の物足りなさを感じました。

だからと言って、ガッカリするようなものではなく、むしろ違いを楽しむべきなのかもしれませんし、私の理解力が映画のスピード感に追い付いていなかったのかもしれません。

 

ホテルのスケールだったり、仮面舞踏会を思わせる音楽だったり、原作『マスカレード・ホテル』の活字から自分の想像力の足りない部分を補い、さらに奥行きや自由な表現を持たせたものが映画『マスカレード・ホテル』なのだと思います。

 

つまり、原作ファンならではの楽しみ方ができるような作品になっています。

 

よく考えたら原作に忠実に、一つも違う部分なく映画が作られていたら面白いのでしょうか?

原作ファンとしては『納得』するだけのものになったりしないでしょうか?

 

違いを楽しむ。

 

原作ファンであるなら、ぜひ観ていただきたい映画だと思います。

 

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